
現在多くの人が飲んでいるコーヒーですが、どのような形で日本に広がったのか知らない方は多いのではないでしょうか。
そこで今回は、コーヒーがどのような形で日本に広がったのか歴史を紹介します。世界によってコーヒーの歴史や味は異なります。
コーヒーの歴史を知ることができると、さらに味わい深くなりますよ。
コーヒーの誕生?3つの伝説?

もともとは、野生の木であったコーヒーがなぜ日々の生活に欠かせない飲み物になったのでしょうか。
コーヒーが誕生するきっかけになった、代表的なエピソードを3つ解説します。
羊飼いの少年カルディの伝説
山羊飼いの少年カルディは、エチオピアの草原で方牧生活をしていました。
カルディが飼っている羊は、赤い実を食べていることもあり、飛び跳ねたり、走り回ったりと活発な羊が多くいました。
そこでカルディは、自分も赤い実を食べてみると、爽快な気分を感じることができました、これを機にガルディは、赤い木の実を食べるようになります。
それから、ガルディは仲間の僧侶にも赤い木の実を食べさせると、眠気が取れ、爽快な気分を感じます。
それ以来は、魔法の豆として、みんなから愛用されるようになります。
コーヒーは飲み物として愛用されていますが、コーヒーの始まりは、眠気覚ましや気分を爽快にする薬として珍重されていたことが分かります。
聖職者シーク・オマールの伝説
聖職者シーク・オマールは、疫病が流行っている街で、祈祷を捧げ多くの人の病気を癒やしていました。
ある日モカ王の娘が病気にかかり、祈祷を捧げジーク・オマールは病気を治します。
しかし、シーク・オマールは、モカ王の娘に恋をしてしまい、山中に追放されてしまいます。追放された山中で見つけたものが、赤い木の実です。
赤い木の実を気に入ったシーク・オマールは、山中にあった大量の木の実をスープにします。
その後、赤い木の実をスープ上にした飲み物を飲むと、爽快な気分になると、街で噂が広がります。
これをきっかけに、シーク・オマールは、街へ戻ることが許されました。
立法学者ゲマレディンの伝説
律法学者のゲマレディンは、研究に明け暮れていたことが原因で体調を崩してしまいました。
そのとき、以前にエチオピアを旅していた際に現地の方が、赤い木の実を煮出し飲んでいたことを思い出します。
赤い木の実の効果が気になったゲマレディンは、現地から木の実を取り寄せ試してみました。すると体調が戻り、さらに眠気が取れました。
これをきっかけに、ゲマレディンは、修道士に赤い木の実の飲み物をすすめます。その後、商人や職人にも広まるようになりました。
コーヒーの日本の歴史

先程は、世界でどのようにコーヒーが広まったのかを紹介しました。では、日本では、どのようにコーヒーが広まったのか紹介していきます。
コーヒーが初めて持ち込まれたのは「江戸時代」
日本でのコーヒーの歴史は、江戸時代の初頭に長崎出島だといわれています。
しかし、江戸時代は鎖国政策だったこともあり、コーヒーが広まることはありませんでした。
また、日本人はコーヒーの苦味や香りに馴なじめなかったのも、コーヒーが広まらなかった原因といわれています。
コーヒーが発展し始めたのは「明治時代」
江戸時代には受け入れられなかったコーヒーですが、開国をきっかけに人々が西洋文化に広まります。
西洋文化の象徴でもあるコーヒーは、多くの日本人が興味を持ちました。
長崎や神戸、横浜では、外国人の居留地やホテルなどが作られ、コーヒーは次第に多くの方に飲まれるようになりました。
しかし当初は、上級階級の方でないと、口にすることができない飲み物でした。
大正時代に「誰でも飲めるコーヒー」へ!
日本でコーヒーを先駆けしていたのは、「パンの会」という集まりでした。
森鴎外が先頭に立ち1909年に創刊された文芸雑誌のメンバーを集め「メイゾン鴻の巣」を利用して会合をしていました。
「メイゾン鴻の巣」では、本格的なコーヒーが出されていました。
このような文化サロンの役割を果たすカフェが増えたことがきっかけで、日本にもカフェ文化が入ります。
特に「カフェパウリスタ」というカフェは、青年たちの集い場であり、コーヒーもお手軽な値段で飲むことができました。
お手軽な値段で飲めることができる「カフェパウリスタ」をきっかけに、日本でもコーヒーが親しまれるようになります。
コーヒーの世界の歴史

ヨーロッパやアメリカ、ブラジルそれぞれコーヒーの歴史は異なります。
それぞれどのような理由がありコーヒーが広まったのか、コーヒーの歴史について紹介していきます。
ヨーロッパとコーヒーの歴史
コーヒーがイタリアに伝わったのは、ベネチアであり、ヨーロッパ最初のコーヒーハウスでもあります。
ヨーロッパでは、コーヒーハウスが流行ったと同時に、コーヒーに対する反対運動が起きていました。
なぜコーヒー反対運動が起きたのかというと、コーヒーを飲むと肌が黒くなるや子供が産めなくなるなどの噂があったからです。
しかし、コーヒー愛好家であるヨハン・セバスチャンがコーヒー反対運動を風刺刺激にしたことがきっかけで、騒動はおさまります。
その後、フランスでもコーヒーが普及し、近代化に常用な貢献をしたドリップ式を考案しました。
ドリップ式を考案したのは、コーヒーファンのブリキ職人です。
ドリップ式のは、コーヒーの大革命となり、コーヒー独特なアジや香りを引き出すことができます。
アメリカとコーヒーの歴史
アメリカにコーヒーが伝わったきっかけは、オランダ人がコーヒーを持ち込んだと考えられています。
当時アメリカでは、コーヒーよりも紅茶の方が浸透していましたが、米英戦争をきっかけに紅茶が国内に入ってくる量が減ってしまいまし。
また、当時はコーヒー豆を郵送する手段が発達していなかったため、劣化した豆が多くりました。そのため、玉ねぎやココア、シナモンなどと一緒に焙煎されていたといわれています。
次第に技術が発展し、コーヒー豆が新船場状態で輸送されるようになったことや1920年に禁酒法が成立したことがきっかけで、一気にアメリカで人気が出るようになります。
また、アメリカ式のコーヒーということで名付けられたコーヒーですが、こちらは和製英語になります。
アメリカンコーヒーという言葉は、日本でしか使われていないため注意しましょう。
ブラジルとコーヒーの歴史
ブラジルには、コーヒの樹が自生していなかったため、初めてコーヒーがきたのは、1727年といわれています。
それぁら30年以上たった1761年には、コーヒー栽培は始まり、1850年には、生産量が一位になっていました。
しかし、コーヒーの生産量が増え続けたことが原因で、1800後半までブラジルでは、コーヒーの栽培を奴隷が労力となっていた歴史があります。
奴隷の人数は、150万人にも及び、1888年には奴隷制度が廃止されます。それからコーヒー農家は、移民の労働を賄うようになり、現在でもコーヒーも生産量は世界一です。
ブラジルのコーヒーは、バランスの良い味わいが特徴とされています。
濃いコーヒーではなく、全体的に控えな酸味や程よいコクを味わいたいという方におすすめです。
まとめ

コーヒーは、世界によって広まり方が違うことが分かります。
世界に比べると、日本は鎖国していた時期があるため、コーヒーについての歴史は非常に浅いです。
また、コーヒーの生産地によっても香りや酸味などは大きく違います。
これからコーヒーを飲む際は、ぜひ生産地をチェックしながら飲んでみてください。